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【連載】早瀬利之の先人たちのゴルフ
作家・ゴルフ評論家 早瀬 利之
作家・ゴルフ評論家 早瀬 利之

はやせ・としゆき
昭和15年長崎県生。36年鹿児島大卒業。様々な雑誌記者のあと『アサヒゴルフ』編集長。退職後作家活動。『週刊文春』の他、『夕刊フジ』で「人間グリーン」を執筆。作品に『右手・戸田藤一郎伝』『遥かなるスコットランド』剣道関係では『気の剣・剣聖十段斎村五郎』。『石原莞爾・満州備忘ノート』『満州合衆国』『石原莞爾・マッカサーが一番恐れた日本人』『精国の杜の反省会』『偉人たちのゴルフ』など。

苦手クラブを克服して54勝――杉原輝雄

杉原輝雄は小柄なプロだった。身長160cm、体重60kg前後で、尾崎将司(ジャンボ)との飛距離は常に50ヤード置いていかれた。一例が第2打の使用クラブ。

ジャンボが残り150ヤードを9番アイアンで軽く打つところを、杉原は5番ウッドでフルショットした。ジャンボや中嶋常幸、青木功ら、当時AONと言われた長身のパワーヒッターがショートアイアンでピンをデッドに狙って攻めるのに対し、杉原はフェード系の球で辛うじてピンの4メートル前後、またはそれ以上の所に止めるのに必死だった。

ピンの位置がセンターより奥なら、フェアウエーウッドで打ったボールがワンピン以内に止まることもある。逆に手前にカップが切られるとノーチャンス。仮に手前エッジより5~7メートルの所にカップが切られると、200ヤード先のグリーンを5番ウッドで狙う杉原のボールは大きく弛んで奥のカラー寄りになる。ときには20ヤード近い下りパットを残すこともある。

パットの名人だった杉原は、義父の山本丈助が造ったカマボコ形のパターで、ことごとくワンパットに沈めるから、何とかAONに追い付けた。しかし追い抜く確率は低い。

そこで彼が取り組んだのは、3番ウッドに依る「止まるボール」である。3番ウッドはジャック・ニクラスが「僕の一番苦手なクラブ。誰一人得意とする選手はいない。パーマーもイヤなクラブと言っていた」と語ったように100人中100人が苦手とする。しかし飛ばない杉原は、優勝して後輩のAONを倒すには、苦手だが使いこなさないと勝てない3番ウッド克服に取り組む。

ある冬の大阪茨木CCの練習場でのこと。彼は朝から日が暮れるまで3番ウッド1本だけを打ち込んだ。スタンスをオープンに取り、トップの位置を心持ち低くすることで、曲がらないボールを取得する。

それだけでは勝負にならないので、軽くフェードして2バウンドで止まるボールに挑戦した。「どうしたか」は永遠に企業秘密とした。

この日の練習を見ていた男がいる。甲南大の中部銀次郎は友人とラウンドしていた。18ホール回ってクラブハウスに戻ると、唇から血を流して打ち込んでいる杉原を見た。その時ボンボンの銀次郎は、『あんな苦労をせんとプロは通用しないのか』と愕然とし、プロ志望を断念した。

その杉原は3番ウッドを指先のように使いこなすようになってからは、AONを倒し、生涯54勝して「マムシ」の異名で恐れられた。

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