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【連載】早瀬利之の先人たちのゴルフ
作家・ゴルフ評論家 早瀬 利之
作家・ゴルフ評論家 早瀬 利之

はやせ・としゆき
昭和15年長崎県生。36年鹿児島大卒業。様々な雑誌記者のあと『アサヒゴルフ』編集長。退職後作家活動。『週刊文春』の他、『夕刊フジ』で「人間グリーン」を執筆。作品に『右手・戸田藤一郎伝』『遥かなるスコットランド』剣道関係では『気の剣・剣聖十段斎村五郎』。『石原莞爾・満州備忘ノート』『満州合衆国』『石原莞爾・マッカサーが一番恐れた日本人』『精国の杜の反省会』『偉人たちのゴルフ』など。

井深 大(ソニー創業者)

ソニーの創業者井深大は終戦直後の1945年10月、ソニーの前身となる東京通信研究所を東京・日本橋の旧白木屋店内に創設した。研究所を工業に変えて株式会社化したのが翌46年。その後、新しい独自の技術の開発に取り組み、テープレコーダー、トランジスタラジオを発売した。来年が創業70周年になる。

テープレコーダーは、朝鮮戦争の頃石炭ブームに沸く筑豊や大牟田など北九州で売れた。ところが、その後は売れ行きがパタッと止まる。1947年工場兼事務所を不便な品川の御殿山に移し、53年頃には従業員200人を抱え、給料の遅配など資金繰りに苦しんでいた。

ソニーは1953年にウエスタン・エレクトリック社からトランジスタラジオの製造技術の特許を取得し、55年から量産に入る。その頃、アメリカからバイヤーの社長夫妻が来日する。商談後、なけなしの金で箱根・富士屋ホテルに招待した。

この頃は朝鮮戦争後に成金となった横浜の貿易商、鉄鋼会社などのゴルファーが戦後復活した相模や程ヶ谷、霞ヶ関などで輸入クラブを使ってプレーしていた。しかし井深の東京通信工業の台所は火の車。副社長の盛田昭夫は酒造業を営む名古屋の実家から借金し、井深の親戚で『銭形平次捕物控』の作家野村胡堂から当時5万円を借り、従業員の給料に充てるような状況でゴルフどころではなかった。

ところがバイヤー夫妻は翌日ゴルフがしたいということになり、仙石原で貸クラブを使ってラウンドした。井深と盛田はこの時生まれて初めてゴルフ場やクラブ、ボールを見た。やせ細った2人はキャディーの後ろを歩きながら、夫妻がショットするのを見守る。ふと井深が「盛田君、俺たちもゴルフをする日が来るだろうか」と呟いた。しかし資金繰りに苦しむ盛田は「…」と無言。

その2人がゴルフを始めることになるのは株式上場後のこと。仇を討つように毎週日曜日、早朝5時に起きてコースに出た。スライスすると原因を追求する。スイングとクラブのせいでは無いと知った井深は、今度はレントゲンを使ってボールの芯をのぞく。「やっぱり中心からズレている」と確認した井深は、製造元のブリヂストン社長石橋正二郎を入院先の病院へ見舞いに行った際に、「おたくのボールをレントゲンで見たら芯のズレたのがありましたよ」とアドバイスした。互いに開発努力する心は通じた。

石橋はすぐに担当常務に電話で「1千万円出す。曲がらないボールを作れ」と命令した。今日のブリヂストンボールの始まりである。

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