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【連載】早瀬利之の先人たちのゴルフ
作家・ゴルフ評論家 早瀬 利之
作家・ゴルフ評論家 早瀬 利之

はやせ・としゆき
昭和15年長崎県生。36年鹿児島大卒業。様々な雑誌記者のあと『アサヒゴルフ』編集長。退職後作家活動。『週刊文春』の他、『夕刊フジ』で「人間グリーン」を執筆。作品に『右手・戸田藤一郎伝』『遥かなるスコットランド』剣道関係では『気の剣・剣聖十段斎村五郎』。『石原莞爾・満州備忘ノート』『満州合衆国』『石原莞爾・マッカサーが一番恐れた日本人』『精国の杜の反省会』『偉人たちのゴルフ』など。

作家・ゴルフ評論家 早瀬 利之

高畑誠一は愛媛県内子町の生まれで、旧制西条中学から神戸高等商業学校(現・神戸大学)に進み、卒業と同時に神戸の合名会社鈴木商店に入社した。

入社当時は台湾樟脳を始め、ハッカ、麦粉、外米、砂糖を扱い、神戸では8大貿易商の1つだった。

高畑がロンドンに支店を出したのは明治45年で、25歳。大番頭の金子直吉の指示で大英帝国を相手に鉄材を買い付け、食糧を売り込み、ついには満載した船もろとも売り渡す「一船売り」の離れ業をやり、ロンドンでは「まるで彼はカイゼルを商売人にしたような男だ」と評判になった。

ゴルフとの出会いはロンドン支店長時代。取引先の英国人に近郊のゴルフ場に誘われてプレーする。その日以来「ゴルフは紳士のスポーツであり、社交の場」を体験。週末になるとウェントワース、サニングデールなどロンドンのゴルファーが会員の名門ゴルフ場に出掛けて、英国人と親交を深め、ビジネスに生かした。

ついにはスコットランドへ出掛け、セント・アンドルーズでプレーする。寒い日で、彼は手袋の必要性を感じ、自分で羊の皮をグローブ状に縫って使用した。「あのときに、特許を取っておけば良かった」と大阪ロイヤルホテルのロビーで苦笑していた。他にもクラブヘッドカバーを考案している。国際ビジネスマンの高畑は、遊び道具で金儲けをするなど考えも及ばない。

昭和2年、東京GCの招きでチャールズ・ヒュー・アリソンが来日し、埼玉県の朝霞に18ホールを設計した。高畑は宿泊先の帝国ホテルにアリソンを訪ね、帰国ルートが神戸から上海、シンガポールと知ると、神戸に招いた。

オリエンタルホテルの一室を10日間貸し切り、広野の山林に案内して、設計を依頼する。その間、東京から同行して京都の都ホテルで一緒に宿泊し、京都中を案内する。外国人のもてなしは心得ていて、アリソンと高畑は心が通じ合う。

「7日間、待ってくれ」

アリソンはオリエンタルホテルに閉じこもって設計図を描いた。東京GCの朝霞コースが陸軍に売却されたため、オリジナルで残っているアリソン設計コースは廣野GCだけになった。

高畑は英国紳士のマナーを心掛けていて、「食事中は静かに談笑」「エレベーターでは会話しない」「ゴルフをしない人の前ではゴルフの会話は慎む」を廣野の会員たちに広める。1978年、91歳で死去。

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